ジャパンジュエリービジネススクール(大阪)

大阪・堺筋本町でジュエリーデザインなどモノづくりの楽しさを学び、将来プロを目指せる学校です。体験入学や見学・相談会を実施しておりますので、お気軽にご参加ください。宝石のプレゼントは最も親愛なる人に贈る最高の贈り物のひとつです。その宝石の持つ意味や由来、宝飾の文化や歴史、鉱物としての価値など、宝石鑑定士として必要なスキルを習得します。

ジュエラー宣言

業界新聞『THE WATCH&JEWELRY TODAY』(時計美術新聞社)に掲載されています。

第9回 ジュエラーと呼ばれる日

 「ジュエラー宣言」は私には重すぎるので、できれば今回だけタイトルを変えていただきたいとお願いしたのですが。
私にとって「ジュエラー」とは、ブランドと同じで、結果他の人が評価するのに使う言葉ではないかと思っています。西遊記のお話と同じで、一生懸命目の前のことに取組み、悩み意思決定していき、振り返ってみたときに「あの人は~だった」といっていただけることを目指していきたいと考えています。
というわけで、今回のタイトルは「ジュエラーと呼ばれる日」とさせていただきます。

 妻の実家である家業に飛び込むことになり、縁もゆかりもない宝石業界。
自分なりのモチベーション、「商売して食べていく」だけでない何かを無意識で模索していたときに諏訪恭一氏の著書「宝石」と出会いました。
 はじめは、その「写真の美しさ」に惹かれ、読み進めるうちにクオリティースケールと言う「分かりやすい物差し」に共感し、読み終えたときにその思想の深さと行動力に背筋が寒くなるほどの感動を覚えました。自分のバイブルとして手元にあったものが、ビジネススクールとして存在していることを知ったときのワクワク感は、社会人になって久しぶりに感じた心地の良いものでした。
 JBSに通いはじめ、校長先生はじめ講師の方、全国から通ってくる皆さんが自分が共感したものに、同じように共感し集っていることに驚き、嬉しい気持ちになりました。
 世の中、綺麗ごとばかりでは動きません。自分もそうであるように、皆さんが素晴らしい理念に共感しつつも、目の前の現実とのギャップを感じている。そのことが何よりも嬉しかった。理想と現実のギャップに悩むのは自分だけではないと思えたからです。
 それでも、今できることそれは「学ぶこと」であり、「現実を直視し受け入れること」、
今は実現していないが、未来に希望を持つこと」。そひて、その出発の一人として自分も存在しうることだったのです。
 世の中の仕組み、ルールが変わり始めた今、未来に確信を持ちにくい時代に商売をはじめ、宝石業界に骨を埋める覚悟を決めました。思想を持って生きる、理念を持って仕事に取り込む喜びを与えていただいたことに感謝しています。ゆがんだ資本主義は、数値目標がモチベーションになりがちです。売上や利益、店数、生産性もちろん経営をするには必要条件ですが、人として生きていくうえでもっと違うモチベーションを仕事で持ちたいと思うのが自分だけではないことは本当にありがたいことです。
 弱者が群れるためのきれいごと集団は、肌に合いません。自立した人同士が同じ理念の下にそれぞれの表現方法で生きていく。そのような柔軟な組織と言うかグループの一員であり続けたいと思います。
 日々店頭に立ち、お客様との生の声を聞き、同じ思いを持った供給サイドとその問題解決をしていきます。
現場での目標は
お客様 「こんな感じのものが欲しい。相談にのってほしい」
お 店 「お客様のご要望をかなえるには、このような選択肢が考えられます」
お客様 「私の希望は~です。あとはプロにおまかせします。時間が掛かっても納得のいくものが欲しい」
こんな会話が、日常に行われるお店でありたいと願っています。
同じお客様から、次の依頼。そしてご家族、お友達へとご紹介をいただける関係を続けていけることを目標に日々売り場に立っています。

 自分が現役を離れたときに、3人の息子に誰かが「あなたの父親はね~」と評価を頂けること。それが実現したときに改めて、「ジュエラー宣言」というタイトルで原稿を書いてみたいと思います。

㈱宝石の玉屋 店長 泉 研

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第8回 消費者からジュエラーへ

 数年前、まだ業界に参入する前の話である。色石のジュエリ-が欲しくなり、いろいろな店を覗き、多くの販売員とも話しをした。そこでとても不思議に思ったことがある。それは、

 当時、私が欲していたものは、品質の良い大振りの中石を個性的にデザインした物で、使用するシ-ンが限られるゴ-ジャスなデザインでは無く、ビジネスシ-ンやデイリ-にも使用できる装着感のよいものであった。結局気にいったものが見つからず、製品はあきらめル-スを求め、「特注受けます。」といった数店に持ち込んだが、ほとんどの店が有枠のサンプルを提示するだけか、ブランド品のコピ-や既存のデザインの焼き直し…。(それは、特注でもオリジナルでもないじゃない?)
 という他業種の人間から見れば不思議なことばかりであった。最終的には、自分でデザインし、職人のところに持込み形にしてもらった。
 そこで私は考えた。
 「気にいった製品が見つからないなら、自分で製品を作ろう。私と同じように、品質の良い中石を、デイリ-にも使用できるよう個性的にデザインした商品を、求めている人達が必ずいるはずだ。まして可処分所得がある婦人層も増え、ジュエリ-は贈られるのではなく、自分のために自分で買う、という考え方の人達も増えてきている時代である。」
 かくして私は、一消費者からジュエラ-へと転身した。

ジャパンジュエリ-ビジネススク-ルの諸先生方や、「宝石」の著者、諏訪貿易(株)諏訪恭一会長が、常々おっしゃられている「志」を持った「世界に通用するジュエラ-」を目指すための第一歩として、正しい知識に基く商品説明・価値に対する価格・デイリ-にも使用できる個性的なオリジナルデザインを、常に提供できるジュエラ-でありたいと努力しております。

㈱彩 代表取締役 デザイナー 中島 彩乃

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第7回 スピリッツの継承

㈲谷真珠 代表取締役 谷 興征氏本年2008年1月25日は御木本幸吉の150回目の誕生日であった。のちに世界から「真珠王」 ~THE PEARL KING~と呼ばれる。
度重なる困難を家族や協力者とともに乗り越え、エジソンさえ驚嘆した“真珠養殖の成功者”として、明治当初からグローバルな視点で日本の宝飾史の扉を果敢に切り開いてきた。
常に先駆者として、妥協を許さず美しいものだけを追い求めたスペシャリストとして、その一生を貫いた。
今、幸吉さんが生きていたなら、何を思い、我々に語りかけてくれるのであろうか。
「真珠は世界中の女性の首にはまだまだ行き渡っておらんな。」とつぶやくか、もしくは
「わしの努力の結晶である真珠がこれほどまでに世界中に広まったのか。」と喜ぶか。
いずれにしても、御木本幸吉の真珠を世界中に広めることへの情熱の火は消えていることはないはずだ。
 香港のジュエリーデザイナーで、ジャパンジュエリービジネススクールに留学中のカレンリー女史より、真珠の勉強のために伊勢へ行きたいとのご依頼があった。
先日、鳥羽にあるミキモト真珠島へとお連れした。女史はタヒチアンパールジュエリーデザインコンテストでアジアチャンピオンに輝くなど、真珠素材に造詣が深く真珠をこよなく愛するデザイナーでもある。
博物館では真珠が出来る仕組みや生物の神秘など、真珠に関する様々な情報に強い関心を持った様子だった。
驚いたことにそれまでメモ一つとらなかった彼女がおもむろに紙と鉛筆をバックから取り出し、熱心に何かを書き始めた。それは、御木本幸吉の人生とエピソードにまつわる物や資料を集めた“御木本幸吉資料館”に入ってすぐのことだった。
資料館を出てすぐに彼女は「どのような過程を経て真珠が作られるのかを知ることが出来たことにはとても感動した。でもそれ以上に、どんな人物がどのような思いで真珠作りに取り組み、命を懸けてその偉業を成し遂げたのかを知れたことが本当に良かった」と語ってくれた。
私はそこでつたない英語でこう答えた。「彼の偉業はジャパニーズジュエラーズスピリッツの真髄です」と。その言葉に彼女はにっこり微笑んでくれた。その笑顔は、日本人の宝飾文化に対する精神性の高さを理解した、というサインだと私は受け取った。
ただ純粋に美しいものを美しいと伝えていく。その素直でピュアな気持ちの連鎖こそ、ジュエラーとして万国共通の本質なのかもしれない。
生誕150周年を迎えた御木本幸吉翁のスピリッツは脈々と引き継がれている。

我々、谷真珠のチャレンジも続く。妥協なき美しさを求めて・・・

㈲谷真珠 代表取締役 谷 興征

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第6回 モリスの売りは。。。ルビーとジュエラー

京都三条通りにある「モリス」は、「ルビーのブランド」として、創業当時から国際的な「ジュエラー」のブランドを目指して準備を整えております。そのブランドの2つの柱が、「モリスルビー」と「モリスジュエラー」です。

「モリスルビー」は、ミャンマー産のモゴック鉱山、もしくはナヤン鉱山から産出された、無処理で美しいルビーです。これについては、ルビーが採掘される現場から、原石の選別、原石カットのデザインに始まり、カット研磨作業、保証書の作成、と続き、すべてを自分たちの手でやることで、品質に責任を持てるシステムを構築しました。これはごく当たり前のことであり、この一貫した管理体制自体は「モリスルビー」売りではありません。一貫して管理するシステムを構築することぐらいで、非常に希少性の高いミャンマー産の無処理で美しいルビーを確保することは無理だからです。しかし現地に法人を設立し、ルビーを研究し続けることにより「ミャンマー産のルビーについては、世界一詳しいジュエラー」になる事は、可能かも知れません。
私たちモリスの売りは、「モリスジュエラー」であり、「モリスジュエラーから買いたい!」とファンの方々に思っていただけるのが、私たちの目標です。「誰が販売しても物は同じだ」とおっしゃられるかも知れませんが、私は、そうは思いません。理屈では同じものかもしれませんが、ジュエリーは、「誰からプレゼントするのか、誰から伝わってきたのか?」が非常に重要な「精神性のシンボル」なのです。
この様に申し上げると「誰が持っていたかなんて関係ないよ」とおっしゃられる方もいらっしゃるでしょう。頭でそう考えるからであり、心で感じることができていないのかも知れません。想像していただきたいのですが、ほとんど同じ品質のルビーが、同じ値段で2つあった時に、片方は、「ルビー」。もう一つは「ルビーが大好きな、ハリウッド女優のエリザベス テイラーさんのルビー」が並んでいて、どちらがいいですか?と聞かれると、まずよっぽどのことがない限り後者でしょう。ほぼ同じルビーで、なぜ後者が欲しくなるのか?
情報も含めた、そのルビーの周りある「何か」を見た人の感性が感じるからです。
私たち「モリスジュエラー」は、その「何か」を磨き上げていくのが仕事だと思っています。お客さまとお話している時も、お店でショーケースを掃除している時も、こうやって原稿を書かせていただいている時も、自分たちを「ジュエラー」として磨いているのだと想い続けることが、「モリスジュエラー」を世界のブランドにしていく唯一の方法であると考えます。
素晴らしい宝石は、勿論それだけで、素晴らしい存在なのですが、宝石のファンがいらっしゃる限り、それだけでは、足りないと思います。素晴らしい宝石を素晴らしいジュエラーがお届けして初めて、「受け継がれていく宝物」になっていくのではないでしょうか?
ちなみに、モリスは、社員全員が大阪にあるジャパンジュエリービジネススクールの卒業生か、もしくは、セミナーの受講生で構成されており、全社員が宝石の「鑑定士」です。
「モリスジュエラー」を目指して日々、努力をつづけております。

㈱モリス 代表取締役 森 孝仁

株式会社モリス ホームページ

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第5回 ジュエリー学校に入学する主婦たち

最近、JBSの入学希望者に、既婚女性すなわち主婦の方々が増えてきました。

彼女たちは、概して、大変ジュエリーが好きで、これまで、ジュエリー業界にとって、良いお客様であった方たちです。
彼女たちは、何を目的にJBSに入学して来るのでしょうか? 勿論、ジュエリー業界で仕事をしたいという本来の目的の方もいます。しかし、興味深いのは、全員がそうではないということです。
彼女たちが、ジュエリー業界に就職するわけでもないのに、高い受講料を支払って、ジュエリーに関する知識を学ぶのは何故なのでしょうか?
ここに、現在の日本のジュエリー業界の問題点が浮かび上がってきます。

彼女たちの声をまとめますと、
「ジュエリーに大変興味があるのに、お店では満足な説明が受けられない。」
「日本のお店には、自分の欲しいと思うデザインが売っていない。」
「海外でジュエリーを購入したいが、価格が妥当なのか不安。」
「海外で宝石を購入したいが、方法が分からない。」
「海外で購入した宝石に自分でデザインした枠をつけたい。」
「自分でつくったジュエリーを多くの人に見てもらいたい。」
といった流れが見えてきます。

つまり、

という構図なのです。

ジュエリーが欲しい人は沢山いるのです。
そのニーズを見逃すのは大変もったいないことです。

一体、何が足りないのでしょうか?
彼女たちを満足させるためには、何が必要なのでしょうか?

もう一度、考えてみるときなのではないでしょうか?

JBS副校長 奥田 薫

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第4回 モリスルビーがブランドであるために。。。

㈱モリスモリスは、ミャンマー産の無処理で美しいルビーしかお届けしません。
もし自分自身が、自分の宝物として宝石を購入する場合、どのような宝石(ルビー)が欲しいのか、そして、どんな事をジュエラーから説明して欲しいのか。
自分がお客様だったら、「ジュエラーに、やって欲しいな。。。」ということをそのまま、やっているのが私たちモリスです。お客様にルビーを売っているというよりも、むしろお客様の視点で、ルビーを探し、ジュエリーをつくり、一緒に宝ものを選んでいる、という感覚です。しかし、それは、「お客様の顔色をうかがいながら。。。受けるものを探す」という意味ではありません。誰よりも深くルビーに関わりながら感性に磨きをかけ、自らがレベルアップした上で、お客様に素晴らしいルビーをご提案していこう、というモリスのスタイルがベースにあります。
ごくごく自然に①「どこを探しても、同じものがない、もちろん人の手でつくることができない、そして持っていると、ある種の優越感が感じられるもの=希少性が高い、」②「持っていて飽きがこない自分だけの宝もの=天然石の個性」③「次の世代に自信を持って受け継いでいける=経年変化がなく、客観的に資産性がある」、その様なルビーを探しはじめました。
必然的に、原産国に現地法人を開設し、合弁先企業と鉱山の採掘権を取得し、ルビーの原石を探す現地での体制をつくり、現地の自社工房でカット研磨を行い、現地のルビー研究所で「加熱処理も含めた実験、研究」を行い、政府鉱山省の許可を得て正規にルビーを輸出、日本へ輸入するという、すべて自社で責任を持つ一貫したシステムが出来上がりました。
そして、宝石は、太古より人々を見守り続けてきた文字通り人類の「宝物」です。いにしえの人々が何を感じ、何を大切にしてきたのか、ヒストリックリング、アンティークジュエリーに触れながら、私たちは何を伝えて行かなくてはならないのかを学ぶのもジュエラーとして大切なことです。これにつきましては、JBS校長 畠健一先生、「宝石道」著者 渡辺幸次郎先生、諏訪貿易(株)諏訪恭一会長、㈱アルビオンアート 有川一三社長をはじめ数々の偉大な先輩に恵まれたのは幸いでした。感謝するばかりです。
何千年の長きにわたり残っていく宝石ジュエリーを生み出す現場に携わるジュエラーは、理論、理屈も大切ですが、感性が大切ではないかと思います。
ある先生から禅の言葉、「感即動」感ずることは即ち動くこと。。。をお教えいただいたことがあります。
感動の語源だそうですが、感じるためには、動いていることが大切だそうです。
いくら理論、理屈で宝石を語ろうとしても、その根底にあるのは人の感性です。
私たちジュエラーには、「人の感性に響く宝石ジュエリーを残す」使命があると思います。

私たちモリスは、人を感動させるルビー、感性に響くルビーを探し続けること、お届けすることが使命です。

㈱モリス 代表取締役 森 孝仁

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第3回 真のパールジュエラーを目指して

㈲谷真珠 代表取締役 谷 興征氏 真円真珠誕生100周年の記念フォーラムが、誕生の地伊勢志摩にて開催されました。
生産・加工・流通・小売と真珠産業に携わる業界の方が集結し、活発な意見交換が行われました。川上(生産現場)から川下(小売現場)の人間が一堂に会するだけでも稀なことであり、具体的なアクションプランまで策定されたことは特筆すべきことです。
フォーラムの中では、業界を代表する方々によるパネルディスカッションが行われ、私はコーディネーターという立場で参加させて頂きました。
パネルディスカッションの総合的なテーマは“日本産アコヤの価値をいかに上げるか。”
誰にとっても周知の事実であるように、真珠素材には、白蝶・黒蝶・淡水・中国産アコヤなど他母貝産のものも多く存在します。そして、日本産アコヤ真珠には、生産現場における品質低下、販売現場での短絡的な商品説明、問われる加工業者の倫理観など、問題が山ほどあります。このような状況の中、このテーマは、日本のジュエラーにとって、大変困難ではあるけれども、けっして眼をそらしてはならないものです。
かつては世界最大の真珠生産国であった日本ですが、最近の真珠をめぐる世界的な動きは、確実に日本人不在の方向へと進みつつあると私には感じられます。
今や世界最大の真珠消費国に姿を変えた日本は、その事実を認識し、真珠に対する姿勢を見直す時期に来ているのではないでしょうか。
これまでの100年間は、ある意味で物質としての真珠の時代でした。これからの100年は心の存在としての真珠の時代になります。そのためには、新しい真珠の価値を創造し、伝えていかなければなりません。これからは、真珠を歴史・文化・化学・ジュエリーなど、様々な視点から語れる人、すなわち「パールジュエラー」の存在が必要不可欠なのです。
今後の日本の真珠業界の発展のために、まず私自身が、気持ちを引き締め、真のパールジュエラーになるべく日々精進していくことを心に決めました。

そして、真珠が潜在的に持つ美しさを広く伝えていきたいと考え、ここにジュエラー宣言をさせていただきます。

㈲谷真珠 代表取締役 谷 興征

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第2回 ジュエラーの役目

奥田 薫 日本のジュエリー業界に現在立ち込めている暗雲を吹き飛ばし、明るい未来を創造していくことができるのは、真のジュエラーだけです。私自身は、ジュエラーではありませんが、教育という仕事を通して、今後、多くのジュエラーが誕生して欲しい、また、現在のジュエラーにもっと活躍して欲しいとの願いを込めて、ここに「ジュエラー宣言」をさせていただきます。

私は、ジュエリー業界の中で、宝石鑑定士から、ジュエリー専門学校の講師というかなり特殊なポジションにいます。ジュエリーを販売した経験はなく、ジュエリーの売買に関しては、私は完全に消費者側になります。従って、業界内の方々および一般消費者の方々、双方の本音を聞くことのできる立場にいるとともに、消費者心理も良く理解していると自負しています。
その中で、痛切に感じること。それは、販売側がジュエリーの本当の魅力を伝えていない。ということです。
「色石は売れない」、「ブライダルのダイヤモンドはエクセレントカットでないと売れない」、「花珠鑑別が付いていない真珠は売れない」
といったご意見を良く耳にします。
そして、実際に店頭に並ぶジュエリーは、それを繁栄したラインナップになっています。

一般消費者は、店頭に並んだジュエリーの中からしか、選ぶことができないのです。
世の中には、ダイヤモンドだけでなく、魅力的な宝石が沢山あること、
何かの証明書がついていなくても、ため息が出るほど美しいジュエリーがあることを、
どうして教えてあげないのでしょうか?
一般消費者の願いは1つです。
「美しいジュエリーをその価値に見合った価格で自分のものにしたい。」
誰でも美しいものは分かります。しかし、一般消費者の方々には、どんなジュエリーにどれぐらいの価値があるのかをご存知ありません。それを伝えるのがジュエラーの役目です。

説明のしやすいものばかりを販売してはいないでしょうか?
ジュエラーとしての大切な役目を怠ってはいないでしょうか?
話すことのできないジュエリーの価値を代弁してあげられるのは、ジュエラーだけなのですから。

JBS副校長 奥田 薫

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第1回 ジュエリーを良く知って、グッドビジネスをする

JBS校長 畠健一 ジュエリーの市場規模は、1兆2,000億円前後といわれている。その半数6,000億円を、ひとにぎりの海外スーパーブランドが占めているという。いったいどうしてしまったのだろう、日本のジュエリー業界は…
 その前に問いたい、世界的ジュエリーブランドは、この日本から出現するだろうか。答えはあった、すでに100数年前伊勢の住人御木本幸吉は、真珠養殖に成功し「ミキモト」を設立、真珠王として世界に知れ渡っていた。
当時、へき地極東と呼ばれていた貧しい小国、この日本でだ。
おそらく、明治・大正生まれの本田やソニーの創始者は、幸吉から大きな刺激をうけ、世界に目を向ける大志をいだいたに違いない。
 今年、トヨタはアメリカのGMを抜いて、世界一の自動車メーカーになろうとしている。その他にも日本のあらゆる業種は世界に進出、世界的企業に育っている。今や日本はG8に参加資格を有する経済大国。幸吉の時代とは比べものにならないほど豊かな国になっている。故に、その先鞭をつけた、我々の業種から第二のミキモトを輩出出来ないはずがない。私はそう信じている。その為に何がもっとも必要なのだろうか。
 長く鎖国で閉ざされた日本を、近代日本にのし上げたのは、政治家、役人、民間企業…?ではない、それは我国の教育であったと筑紫哲也氏が言っていた。
かつての日本の教育には、「志」を育てる土壌があった。そう、知識・技術も大切だが「志」を育てる土壌、根幹教育が今、教育にもっとも必要だ。でないとジュエリー業界が、日本があぶない。当時の教育の訓令をうけた、「志」をもった若者3,000人が志士となり倒幕を果たし、明治政府を樹立した。当時の人口は3,000万人、つまり10,000分の1の人数で革命は起こせる。
今、ジュエリービジネスに携わる人は30万人だろうか…?さすれば、30万人の10,000分の1、30人の志士が集結すれば宝飾業界は生まれ変わる。その中から、世界的ブランドを築くジュエラーも必ずや出現するだろう。
 その第一歩は「ジュエラー宣言」、まずは意識変革だ。愚直なまでにジュエリーをよく知り、愚直なまでに誠実にグッドビジネスを展開する、これに尽きるのではないだろうか。
ここに「ジュエラー宣言」をした若きジュエラーの志士を紹介したい。近い将来名実ともにミスタールビーと呼ばれる男モリスの森君、御木本幸吉の遠戚にあたる谷真珠の谷君、そしてJBS副校長の奥田さん。彼ら彼女はジュエラーとして志高く、常に世界に目を向けている。これから「ジュエラー宣言」と題して、各自熱きメッセージを発信させて頂くこととした。
そして、多くの業界人と呼応し、「我こそはジュエラー」の同志の出現を願ってやまない。
“世の中を変えることが出来るのは、それは情熱である”

JBS校長 畠 健一